近江八幡へ
親族間売買の決済のため、滋賀県の近江八幡に行って来ました。
大阪や京都は行ったことがあるが、滋賀県というとどの辺?
という感覚の人が多いのではないでしょうか?
そういえば京都の帰りに琵琶湖に寄ったことがあることを思い出した。
有名なテーマパークや観光地や温泉があるわけでもなく、
どちらかというと馴染みのない場所というのが正直な印象だ。
しかし、近江八幡という場所の名前は
ほとんどの人が聞いたことがあるのではないでしょうか?
地図をみると琵琶湖の近くではないですか。
近くには安土城跡地がある。安土桃山時代の安土?
少し興味が湧いてきた。
近江八幡駅に降りると観光マップが掲示されていて、
近江商人発祥の地という石碑があった。
観光マップには豊臣秀次の像が八幡公園にあることが書かれている。
秀次は秀吉の姉の長男で秀吉の養子となり関白を継いだものの、
のちに秀吉に長男が生まれたことにより、
謀反の罪を着せられて自害させられたと書いてある。
横の看板には水郷の街と書かれており、
船頭がこぐ小舟にのっている観光客の写真が掲示されている。
その風景は、
子供の頃にテレビで見た『まんが日本昔話』に出てきそうな
日本の原風景そのものだ。
景観法が定める景観計画区域のなかでも
特に保存すべき景観として
文化財保護法に基づき国が選定した文化財である
『重要文化的景観』の指定を日本で初めて受けたのが
この『近江八幡の水郷』だそうだ。
近江八幡が商人の街として栄えた理由を調べると、
当時物流の要所であった琵琶湖と街の間に水路(八幡掘)を通し、
往来する舟は八幡を経由するかたちにして運河としての機能をはたし、
舟や人の往来が増えたことが要因の一つと書かれている。
この水路の整備や城下町としての街作りをしたのが、
豊臣秀次だ。
織田信長の築城した安土城が1585年に廃城となり、
秀次はその年に八幡山城を築城し、
新たに城下町を作り、安土の城下町から移住させたとある。
要するに近江八幡を作った人というわけだ。
決済が終わったら、
安土城跡でも見にいってみようと思っていたのだが、
思いの他決済が長引いて、
次の目的地である大阪の高槻に契約で向かわなければならず、
結局、近江八幡は駅周辺を見るだけとなった。
正直行く前は、近江八幡にくるのは最初で最後だろうと思っていたが、
機会があれば観光で訪れてみたいと思う。